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創価学会も顕正会も脱会しました。

日蓮正宗に戻ってホッとしています。

諸天の守りもあるけれど、自分の宿業に悩み苦しみながら修行をするのが、信心修行ということでしょうか。

随想

宿業も千差万別

人の数だけ宿業も存在するのでしょうか。

世間的な尺度で自分の人生を見つめなおしてみたところで、特段人に自慢できるような金持ちになったわけでもなければ、社会的地位を得たわけでもありません。

信仰≠御利益

という公式は頭ではわかっているのですが、イコールであってほしいと願ってしまう餓鬼界の命に悩まされてしまうことがあります。

しかし、日蓮正宗の信仰が創価学会という信徒団体によって、昭和の一時期に多くの信徒を獲得した原動力が、現世利益信仰であったことの弊害は、多くの非活になった方のブログを読んでいると他人ごとではなくなってしまうのです。

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幸福製造機≠ドラゴンボール

ドラゴンボールを七つ集めて・・・どんな願いもかなえてくれるという神龍にお願いする・・・。人気漫画の設定みたいな信仰は、謗法と呼ばれている他の信仰となんら変わりがありません。

しかし、経済苦・健康問題・人間関係(貧・病・争)に悩む人には、高邁な仏法の哲理よりも御利益宗教がウケるのはもっともな道理でもあります。

しかし、戸田会長が幸福製造機と言ったのは、法を下げる可能性が高いとはいえ、言い得て妙な部分もありました。願いをかなえるのが主目的ではなく、幸福になるのが目的であるという意味がありました。

幸福というのは現世だけのものでもないし、また当人だけのものではないのですから。

自分一人だけのわがまま勝手な願いが叶うだけなら、それは欲望の満足というだけのことであって、そこにはなんら価値の創造はありません。

日蓮正宗に入って7年目を生きていますが・・・

顕正会末期のころの私と言えば、全てに不満を抱き死にたいという気持ちに悩まされていました。

家庭不和、度々の痛風発作、糖尿病、転職の繰り返し、近隣トラブルなどなど、何一つうまくいかない人生でした。

それが、徐々に徐々に、少しずつ解決してしまいました。

このように言えば、結局、現世利益かって思うかもしれませんが、一番の理由は自分の心の変化だと思っています。

悩みの原因で自分の心に原因がないものなど、ほとんどないということにも気づかされました。

地獄界が強い命でしたので、すぐに怒ってしまいました。怒るとあらゆる人間関係は悪化します。ストレスが溜まって暴飲暴食になり、次の日に影響が出るほどの過度な飲酒も毎日のようでした。

それが、怒りの感情に囚われなくなるだけで、世の中がこれほど違って見えるのかと思えるようになりました。

私には宿業もある上に、創価学会顕正会で積んだ罪障もあります。

このまま鳴かず飛ばずの人生で終わってしまうだろう、とも思っています。

それでも家族の関係が良くなり、痛風も糖尿病も克服した現在に満足しています。

人間関係は未だに課題として残っていますが、以前のようにずっと恨みの気持に悩み続けることもなくなりました。他人の欠点に慣れることができるようになったのです。どっちが正しいとか間違っているとか、世間の善悪にこだわらなくなってしまったといいますか・・・。

人に認めさせてやるという気持ちが薄らいできましたね。

異流儀の毒は、善人をサイコパス

異流儀の人はサイコパスと呼ばれる、異常人格の定義にあてはまる人が多いですね。

日蓮正宗に戻っても、しばらくの間はサイコパスのままかもしれません。

サイコパスにも程度の差はありますが、本人に自覚のないまま自己中心的な言動で周囲を振り回し、傷つけてしまうようです。

頭破七分などともいいますが、実際に頭が七つに割れるというよりも、人格に一貫性がなくなるという風に考えた方が分かりやすいかもしれませんね。

言っていることが支離滅裂で、情緒も不安定になります。

その原因をすべて他に求めるのですから、周囲はたまったものでありません。

日蓮正宗に戻って自分に気づくようになれば、自然に改善され如是相の変化に家族が気づいてくれるでしょう。

良くなったねって言われることでしか気づけないこともあるのです。

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信心は修行です。