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創価学会も顕正会も脱会しました。

日蓮正宗に戻ってホッとしています。

創価2世の心に残った傷、顕正会で背負った十字架

随想

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良いことがあると信心のおかげ。

悪いことがあると不信心のせい。

この二元論的な世界で長いこと生きてきました。

思考の癖というか心の呪縛は一生解けそうにありません。

超自然的な何かなど、何もなければいいのに。

死ねば終わりだと思い込むことができたらいいのに。

時々、そのように思うことがあります。

創価学会の狂信者の家庭に生まれてしまった宿命でしょうか。

まだ、日蓮正宗創価学会だったころから、家庭は父親の暴力ですさんでいました。

毎日、一時間唱題してから会社に行く父。

自分の信仰心がナンバーワンであると慢心しきっていた父。

人間革命に描かれた戸田城聖を異常に崇拝していた父。

私が勤行・唱題をおそろかにすると殴る父。

私が生きた創価の家庭は地獄そのものでした。

母は私が15歳の時、多発性骨髄腫でこの世を去りました。

母は折伏聖教新聞の啓蒙と拡販に秀でていました。

私が初登山した14歳(1986年)の夏期講習会では、戒壇の御本尊様に一家和楽を真剣に御祈念したことを覚えています。

しかし、母の死病はその年の秋に発症しました。

私は、学校でもずっと他人から嫌われいじめられていました。

創価学会がすごい、池田先生はすごいと何度も聞かされていましたが、全く不幸な少年時代でした。

小学生のころから朝夕五座三座の信心をしてきましたが、幸運だと思ったのは大学受験で報われた時だけでした。

本当にあの時だけは、救われたと心から思ったのです。

高校生のころ創価学会と宗門が喧嘩を始めました。第二次創宗戦争の勃発でした。結局のところ、その翌年には創価学会は破門になってしまいました。

上層部の単なる好き嫌いの感情のもつれだけで。

子供の喧嘩となんらかわりません。

しかし、私はこれで宗教とおさらばできると思ってホッとしたのもつかの間、今度は浅井昭衛の顕正会が待ち受けていました。

 

「学会・宗門」抗争の根本原因

「学会・宗門」抗争の根本原因

 

を読んだとき、なるほど!と思ってしまったのです。

父は私が幼いころからよく「なんで、国立戒壇をやめたのだろう。折伏しなくていいはずがない。選挙で功徳はおかしい。」と言っていました。

私は、この本を読んですべての疑問が解けたと思いました。日蓮大聖人様の正しい教えを受け継いでいる団体があると確信しました。

しかし、それも妄想に過ぎなかったのです。

私が顕正会で見たものは、創価学会より殺伐とした修羅の世界でした。

勧誘ノルマ地獄。それしか思い出がありません。

創価学会以上の幹部や会員の性格の悪さ。

組織としては創価学会の方が楽しかったと思ったものです。

しかし、浅井がビデオ放映で語ることや、御書講義には感動もしました。正論だとも思いました。池田大作の見識とは比較にならない優れたものを感じました。

顕正会は大した活動もしないまま、だらだら19年在籍してしまったのです。

 

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

 

創価学会に19年。

顕正会に19年。

38歳になっていました。

人生で失敗し、死にたいと願う日々のなか、日蓮正宗の門をたたき、そのまま入信しました。

それから7年。

順風満帆とはいきませんでしたが、やっと落ち着いたかなと思っています。

始めのころは罪障消滅というのでしょうか、ものすごく苦しんだ時期がありました。

しかし、徐々に改善されてきて、死にたいという気持ちにさいなまれることはなくなりました。

功徳を感じることも多く、これでよかったのかなと思っています。

私は無信仰になることはできません。

勤行・唱題をやめてしまう勇気はおきません。

それならば、日蓮正宗の信徒として生きていこうと決意しています。

ただ、宗門人や法華講員を無批判に受け入れることは慎みたいと思っています。

正本堂問題の時のことや、国立戒壇放棄のことは今の宗門の説明では道理が通りません。

浅井昭衛の功績は、本人や信者が自画自賛するほどのことではないかもしれませんが、確かにあの当時そのまま放置していれば、正本堂を広宣流布の証と内外に宣言してしまっていたかもしれません。

うるさい程の浅井の諫言によって、ようや思いとどまったと言えるのではないかと思っています。 

それはなぜかと言いますと、宗門に戻ってほどないころ、ある僧侶と話していた折に僧侶の口からとんでもないことを聞いてしまったからなのです。

その時の雑談は、顕正会からの入信者がめずらしいということで、顕正会での話をしていたところたまたま、話題が国立戒壇に及びました。すると、その僧侶は現在の公式見解のことなど忘れていたのでしょう、以下のように証言したのです。

「ああ、国立戒壇ねえ。あれは公明党が選挙に負けるからやめるって言い出して・・・」

その言葉を聞いた時に私は青ざめました。

田中智学がどうのこうのというのは、やはり後付けの理屈だったのです。

国立戒壇日蓮正宗の悲願とまで、かつての猊下の言葉にもあるのに、なんで急に・・・と思っていた私の疑念は晴れました。

ああそうだったんですね。

それなら納得できますよ。

正信会も顕正会も、紛争が起きたときには間違っていなかったのね。その後はどうか知りませんが。

正信会の僧侶が亡くなる直前、信者に言い残した言葉を入信してきた人から聞きました。それも印象的だったので記憶しています。

批判がいくら正しくても、御本尊様の血脈が切れていたらダメだったよ。私が間違っていたとみんなに伝えてくれ。」

死に際の言葉に真実ありですよね。しかし、正信会を辞めて戻ってきたのは、ほんの数人でした。別に単立のお寺を建立し移っていったとのことです。

私は日蓮正宗戒壇の御本尊様だけは一生信じていきたいと思っています。

法華講員をやめるつもりもありません。

しかし、大石寺が無謬で700年やってこれたとは思っていません。

それでも、清流は回復すると思っています。

讃岐本門寺信徒の信仰を鏡として生きていこうと思ってます。

 

日蓮正宗 勤行要典の解説

日蓮正宗 勤行要典の解説