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創価学会も顕正会も脱会しました。

日蓮正宗に戻ってホッとしています。

万年救護本尊は顕発本尊というのですね。勉強になりました。

随想

watabeshinjun.hatenablog.com

創価学会の戸田会長が「質問会集」のなかで、万年救護本尊について金庫の前の証書と言っていた意味が解りました。

金庫の中に本物があるけども、こういう本尊で末法衆生を救っていきますぞという、宣誓書のようなものであると言っていたような・・・。

【問い】
万年救護のご本尊と、一閻浮提総与の御本尊との違いについて

【答】
万年救護の御本尊と申し上げますのは、日蓮大聖人様の宣言書であります。たとえていえば、二つあるのです。佐渡始顕の御本尊も宣言書であります。これは、三世十方の諸仏に向かって「日蓮はこの本尊をもって、衆生を救いますぞ」と言う宣言書が佐渡始顕の本尊です。また、万年救護の御本尊は「おまえたちを、これによって救ってやるのだぞ」と言う宣言書であります。
一閻浮提総与の御本尊と言うのは、その奥にもう一段高く、この御本尊をもって「おまえたちはみな拝めよ。この御本尊によれば、おまえたちのいっさいの悩みは解決するぞ」と言う御本尊です。
万年救護の御本尊は盗まれてしまったのです。こういうと、ちょっと問題ですが、保田の妙本寺を開基した日郷という人が、寂日坊にあった万年救護の御本尊を持ったまま、千葉の保田へいって、そこへ寺を造ったのが、妙本寺なのです。そこに、万年救護の御本尊はあられます。
今度ようやく、妙本寺の富士師が目ざめて、六百何年後の今日において、総本山へ帰伏したのです。大石寺門流になったのです。そこに万年救護の御本尊はあります。
「先祖がもっていったのだから、いずれ、かえすだろう」と私は思うけれども、まだわかりません。
万年救護の御本尊は、衆生に対する宣言書なのです。いま、大御本尊様が奉安殿いますのは、本物なのです。これが大もとになってしますのです。金庫みたいなものです。
金庫の前に書いた証書が、万年救護の御本尊です。中味が奉安殿(現奉安堂)の大御本尊様であれせられるわけです。

戸田城聖先生 質問会集

 (・_・D フムフム。

修行本尊ではないと。

故に保田妙本寺では日興上人様の御本尊(戒壇本尊を書写した本尊)を拝んでいるんですね。

私は、ワタベ氏のように仏教学としてはとらえていませんから、自分の日蓮正宗の信仰に補強できるなと思うわけであります。

本門の本尊については日顕上人様の

 

三大秘法義

三大秘法義

 

に詳しく説かれております。

教学の勉強としては十分すぎるほど詳しく説かれております。

ぜひ、お読みくだされば戒壇の御本尊様が究極の御本尊様であることが納得できます。

信心を見失うまでの創価学会員さんは、聖人御難事の 

「清澄(せいちょう)寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年なり、仏は四十余年・天台大師(てんだいだいし)は三十余年・伝教大師(でんぎょうだいし)は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中(そのなか)の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(御書1189ページ)

御文を決定的な文証と信じておられたのですがね。

この御文で大聖人は、釈尊・天台大師・伝教大師が、それぞれ「出世の本懐」を遂げるまでに要した年月を、40余年・30余年・20余年であるとした後に、御自身は建長5年の立宗以来、27年目の弘安2年に「出世の本懐」を遂げられることを宣言されています。

「出世の本懐」とは仏がこの世に出現した目的という意味で、大聖人が末法(まっぽう)の世に出現されたのは、末法万年の一切衆生を救うという仏の大願を実現するためにほかなりません。熱原の法難における、民衆の強き信心に呼応して御図顕(ごずけん)された弘安2年の大御本尊は、全民衆救済という日蓮大聖人の大願を込めて、広宣流布のために顕されたのです。

本抄に示された「余は二十七年なり」との文意について、不相伝家の者たちは、大聖人様が宗旨建立以来、二十七年間にわたり大難の連続であったことを述懐されたお言葉と解しております。しかしこれは、大聖人弘通の法門と御化導の深義に迷う皮相の見です。

大聖人様は、釈尊、天台、伝教の三国三師の出世の本懐と大難とを対比して説かれていますが、あくまでも法華弘通の本懐を遂げるまでの年数を挙げているのですから、この「余は二十七年なり」との文意は、大聖人様の出世の御本懐を述べられた御文と拝すべきであります。すなわち、大聖人様は御自らの法難と対比して、まさに正法護持の弟子信徒の輩出とともに、出世の御本懐の時期が熟したことを御内示あそばされたものと拝されます。

大聖人様が出世の御本懐を成就あそばされる要件について、御法主日顕上人猊下は、

 「能化の仏・日蓮大聖人は自ら三大秘法建立のため〝大難四箇度小難数を知らず〟といわれる忍難の弘通をあそばされましたが、ただ能化の死身弘法のみでは広布の根本となる御化導の法体は成就いたしません。大聖人の不自惜身命の弘通に応えて、所化の弟子檀那が身命を捨てて大難を恐れず正法を受持するところに、九界即仏界、仏界即九界、真の本門下種・事の一念三千が、弘通のうえに成就するのであります」(大白法 二四五号)

と御指南あそばされ、御本仏大聖人様の死身弘法の御境界と、能所一体となる弟子信徒の出現がもっとも大切であると仰せです。したがって、一文不通の農民ながらも、不自惜身命の信心を身に行じ、正法を護持する清浄の信徒が出現したことより、大聖人様はまさに出世の御本懐の時を迎えことを感じられ、本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされたのであるとお示しであります。

私どもは、熱原の法華講が身を挺ていして示した不自惜身命の信心、誰一人として退転することがなかった異体同心の信心、僧俗和合しての正法護持の信心を鑑かがみとして、大聖人様の御意に叶う信心修行を志し、精進することが肝要なのです。